Heifetz As I Knew Him / Ayke Agus

ハイフェッツ。演奏だけでしか知らなかったが、こりゃ手に余る大変な人物だ……。あくまで著者の見た彼の一面かもしれないが、それを差し引いても驚いてしまった。

Heifetz As I Knew Him

インドネシア出身の女性である著者は、晩年のハイフェッツのマスタークラスなどで 長く伴奏ピアニストを務めた人。彼にヴァイオリンを習っていたはずが、興味深い経緯でいつのまにか伴奏者になった(YouTubeで、彼女のピアノ演奏・ヴァイオリン演奏もいくつか聴けるようである)。

ピアノ伴奏者であるばかりか、彼の自宅で生活面での伴奏もさせられ、たえざる権柄ずくで理不尽な指示に彼女は困惑させられた。それでもハイフェッツの卓越した楽才に敬意を払ってやまず、そのことゆえにどんな仕打ちにあっても耐え忍び、ハイフェッツのもとを決して去ることはなかった(著者にとって、もともと彼はレコードだけで知っていたヒーローだった)。

Heifetz As I Knew Him / Ayke Agus

そんな著者に対して、時としてハイフェッツは猜疑心をいだき、ドリンクに毒をもっただろ! などといって傷つけることもあったという。そういう場合は、普段忍従づくしの彼女も、鋭く彼に対峙して気持ちをぶつける。グラスを奪い取って自分で飲み干してみせるのだ。このエピソードはほんの一例で、本書にはこういう逸話が山ほど出てくる。ネガティブな面だけでなく、ハイフェッツの音楽的に卓越してる部分も詳細に書かれていて、バランスの良い本だと思う。

この男がなぜ偏屈な人物になったかということも、彼女の立場からも優しい目で考えられていて、天才であるがゆえの哀しみを背負った人物だったことが読者に伝わってくる。一段と深い意味でハイフェッツを理解するにこれほどふさわしい本はないだろう。

著者自身の身の上話が少々長かったことと、ハイフェッツの住宅の説明が必要以上に詳細だったりと、ちょっと気になった点はあるが、文章はグイグイ読ませるものだった。おすすめの一書。

翻訳が待たれるが、 あの世でハイフェッツ自身が喜ぶかどうかは微妙かも(^^;

この著者によるハイフェッツ像は一面的なきらいもあるので、もうすこしハイフェッツの良い面を見たい場合はこちらでバランスを取ってください(執筆時点では、Amazon.co.jpより、Amazon.comでのほうがお安く入手できます)。