「読書が好きなこと」と「読書の力がある」ことは別物であるとした点など、首肯できる点も少なくないが、本書では読書の毒の部分に対する考察がすっぽりと抜け落ちていた。
著者のいうとおり、読書には自己形成の部分は大いにある。読書により多様な考え方に触れることで世の事象を相対化する力はつくし、思考力の基礎にもなるのは確かだ。
だが一方で、あらゆる読書を経て、自分が信じてきた価値観が崩壊し、何が正しいのかわからなくなり、生きにくくなる場合があるのも本当である。
著者は読書でコミュニケーションの力がつくようにいうが、それは読んだものを話のネタとして使えるだけである。生真面目な読書家で、コミュニケーション的に難ありの人はざらにいる。
そう思うと、著者の議論は、自分の体験をもとに、明るい面だけを見た盲目的なものであり、取り逃がしているものが多すぎる。
読むものによっては読書はときに人格形成を超えて、精神を侵す毒であり、世界の深淵へといざなう悪魔的なものだ。読書は著者がよくいうようには単なるスキルとは言えないのではなかろうか。