日本語は進化する 情意表現から論理表現へ (NHKブックス) 加賀野井 秀一

日本語は進化する 情意表現から論理表現へ (NHKブックス)

同じ著者の『日本語の復権』のなかの「日本語は進化する余地がある」という論点に興味を持ったので、今回本書を読んだ。議論の進め方が同書より向上しており、論旨明解、具体例豊富、情報量豊富で充実した一書になっている(編集部に絞られたそうだが、これも影響している様子だ)。一読をお勧めしたい。

日本語は進化する 情意表現から論理表現へ (NHKブックス) 加賀野井 秀一

内容を紹介するとこうだ。

明治初期は日本語は多様な文体や方言が存在するような分裂状況にあった。口語は話の内容を日常の瑣事に終始させ、文語は漢文的な決まり文句ばかりで内容空疎、ものごとを思考する上で不便な状況だった(1)当時の作家の苦心について例が豊富で、不便な状況だった事実については説得力がある。 。 (1章)。

この状況下、西洋語の翻訳を通じて、日本語は西洋的な思考を吸収した(2章)。

言文一致運動により、日本語は多様なコノーテーション(言外の意味)から解放され、思考に相応しいものに変身した。これには論理性を要求する演説の隆盛も一役買った (3章)。

f:id:sumai01:20150512145918j:plain

新語が多数作られたが、多くは日常語から遊離しており、テニオハ装置に一知半解なまま投入され、ともすれば装飾に堕しこけおどしになるなど問題もあった(4章)。

とはいえ大筋で日本語は思考に相応しくなり、さらに精密化の傾向をみせている。例えば助動詞「まじ」は「ない」と「だろう」に分割し各意味を分けて担うようになった。また、ら抜き言葉の背景には「ら」付を尊敬専用にする傾向がある(5章)。

よく言われているように日本語は曖昧なものではなく、むしろ分析的でかつ創造的なものである(6章)。

読後、今使っている日本語がタダでそこにあるものではないという認識を強めたが、それが過去の日本語との決別の上にあるのだと思うと、その断絶に寂しさを感じざるをえない。漢文的なクリシェ(決まり文句)は思考の縛りだったとはいえ、美的な価値を含んでいただろうし、それもまた日本語なのだ。

するとこれは「進化」なのか?「変化」ではないのか?と思いもする。


脚注

脚注
1 当時の作家の苦心について例が豊富で、不便な状況だった事実については説得力がある。