生物の教科書に気難しそうに並んでいた「ワトソン–クリック」だが、本書では躍動する。
二人は共同研究者同士ではあるが、常に仲良くやっているわけでもなく、ワトソンがしばしばクリックのおしゃべりに眉をひそめることもあれば、逆にクリックがワトソンを「大事な時期なのにテニスなんかするなよ」と非難がましい目で見ることもあったという。
こういう人間くさい部分を特に隠し立てもせずに描いているところも、本書の魅力だ。
ワトソンやクリックか当時、DNAの構造解明でポーリングに先を越されまいと必死だったことが、本書を読んでいるとよく伝わってくる。
いまでは誰もが二重らせん構造を当たり前と思っているが、当時ポーリングなどは三重らせんと考えていたくらい、よくわからないものだったそう。
その解明の仕方として、モデルを先に作ってそれを事実と照合させるワトソンやクリックの方法と、事実から何かをゆっくり引き出そうとしたフランクリン女史の態度が対照的に思えた。
地道さももちろん大事で、それによって大きなことを成し遂げるケースがあるのも事実だが、柔軟な思考で新案をひねり出せる二人のような研究者が偉業を成し遂げる場合も多いのだろう。
彼ら研究者の場の空気みたいなものも感じ取れる。巻末の登場人物の業績をみていると、二人の周りにいる人々はことごとくノーベル賞をとっている(ポーリングも別の業績でとっている)。まるで灘や開成では東大進学が当たり前みたいなノリである。
すでに「歴史に出てくる人物」みたいになっているが、これを執筆時点でワトソンは存命中である(34歳でノーベル賞)。比較的近年、日本人がワトソンに直接インタビューしている(『知の逆転』所収)。舌鋒鋭いワトソンは健在だ(思ったまま言い過ぎて問題を引き起こすことも多いらしいが)。