夏目漱石「艇長の遺書と中佐の詩」の現代語訳

 以下の文章は夏目漱石「艇長の遺書と中佐の詩」の現代語訳です。 初出は今から110年前、 1910(明治43)年7月20日 の「東京朝日新聞 文芸欄」。 今の人にもやさしく読めるように訳したため、一部に厳密さを欠く部分もありますがご了承ください。

 ギリギリのときに何をするかということを考える時に、ここに書かれた佐久間艇長のことをふと思い出します。あまり知られていない人ですが、漱石の文を通じて多くの人に知ってもらえればと考えています。

夏目漱石(1906年)

艇長の遺書と中佐の詩   夏目漱石

 私は昨日、佐久間艇長の遺書を名文と評した。艇長の遺書と前後して、新聞紙上に広瀬中佐の詩が出ていたが、艇長の遺書の記憶がまだ生々しいので、それと比べて月並みすぎて、ある意味で痛々しくも感じた。

 率直に言って、中佐の詩は下手というより陳腐極まりないものである。我々世代は十六か十七くらいのときに文天祥〔1236-1283 〕 の「正気歌」などにかぶれて、『慷慨家列伝』〔 西村三郎編、春陽堂、1886〕 に入れてもらいたいなあと思いながら詩を作ったものだが、それと同じくらいの出来だ。文章の素養がなくても誠実な人なら――もちろん、どれほど目の肥えた人でも誠実でなくては芸術鑑賞はできないのであるが――中佐があんな詩を作らずに、黙って閉塞船で死んでくれていたらと思うだろう。

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佐久間艇長

 不出来ということでは、艇長の遺書も中佐の詩も不出来であることには変わりない。しかし艦長の場合は、やむをえず不出来になった。呼吸が苦しくなる。部屋が暗くなる。鼓膜が破れそうになる。一行を書くことすら容易ではない。あれほど文字を書き連ねるのはとてつもない努力を要するわけである。「書かずにはおけない。残さなくてはだめだ」と思う内容以外には、一画たりとも無駄に手を動かせないのだ。平穏な日常にあっては人は誰しも自分をひけらかそうとするものだが、非常事態における艇長がそんな気持ちになるはずがない。だから艇長の言葉は苦悶の言葉なのだ。また最高に拙劣な言葉なのだ。どれほど苦しかろうが拙かろうが、どうしても言わなければいけない。だからそれは名誉欲などとは程遠い純粋な言葉である。ほとんど自然と一致していて、エゴの少ない声である。艇長の動機は、人として極めて誠実なものであろう。読んでいて、その一言一句が真実を表しているように思うし、この世の中にあって、私は自分が騙されていないということをありがたいと感じる。また、文が下手であればあるほど、それが真実の裏返しに思えて、安堵した気持ちになる。

 そのうえ艇長の書いたことには、嘘をつく必要のない事実が多い。艇が何度の角度で沈んだ、ガソリンが室内に満ちた、チェーンが切れた、電灯が消えた。これらの現象において、自分をひけらかすということは、たとえ平時であっても無益である。したがって彼は艇長として報告するために、すべての苦悶に耐えたのであって、人によく思われようとして無駄な言葉を連ねたのでないと結論できる。またその報告は実際に、当局者の参考として役立った。これは、彼が自分のために書き残したのでなく、人のために苦痛に耐えたことの証拠にさえなる。

佐久間艇長の遺言

 広瀬中佐の詩は、このような条件をまったく備えていない。やむをえず下手な詩を書いたという痕跡はなく、書かないこともできたのに、凡俗な句を並べた疑いがある。艇長は自分が書かなければならないことを書き残した。また自分でなければ書けない事を書き残した。一方で中佐は、書かないで済む詩を書いたのだ。書かないで済む時に詩を書くことが許されるのは、詩を職業とする場合、あるいは、他の人に真似のできない詩を作ることができる場合のみである(つれづれに、あるいは、気が向いたりして、書くことももちろんあるだろうけれど)。中佐は詩を残す必要のない軍人である。しかもその詩は、誰にでも作ることができる個性のないものである。それだけでなく、あのような詩を書く人に限って、決して勇敢な行動ができない人、つまり自己宣伝のために書く人が多そうに思われる。詩の内容がいかにもエラそうだからである。また、エラいだろうと思っているからである。幸い中佐は、詩に書いた内容と矛盾しない最期を遂げた。そして銅像まで建てられた。我々は中佐の死を勇敢だったと思う。同時に、あの詩は俗悪で陳腐で生きた個人の面影がないと思う。あんな詩が中佐を代表するのは気の毒だと思う。

 道義について書かれた言葉(詩歌感想を含む)は、それを書いた人がその言葉通りに行動できたときに初めて、「本当だったんだな」と他の人に納得してもらえるものである。だが私はさらに懐疑の方向に一歩進んでしまい、悲しいことに、その言葉どおりに行動してくれた時でさえ、その人の誠実さを完全には承認できない。それを完全に承認するためにわずかに足りない点、それは言葉の内にあるか、あるいは実際の行為の内にあるかのいずれかであろう。私は旅順閉塞における中佐の勇敢な行為について一点の疑惑も挟みたくない。だから好んで罪を、中佐の詩のほうに着せるのである。


以上の訳の底本は青空文庫です(親底本は『漱石全集 第十六巻』(岩波書店、1995))。

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