疑似科学入門 (岩波新書) 池内 了

疑似科学入門 (岩波新書)

著者の姿勢に対する違和感を表明したくてレビューを書くということはいつ以来だろうか。こうだ。

疑似科学も「完全にトンデモなもの」から「科学的に検討する余地のあるもの」まで幅があると思う。

たとえば占いなどは認知バイアスにより「あたった」ようにみせる側面が強いし、疑似科学としてある程度断定的に扱ってよかろう。

一方で、とりわけ超常現象などは、かなり科学的なアプローチがなされてきているものであるし、すぐに信じられなくとも考察の対象とすべき興味深い分野だと思う。

超常現象のほんの一例だが、0と1が等しい割合で出るはずの乱数発生器が、人間の意識に共鳴して発生に偏差がでるとする大掛かりな実験の結果もある。私はこういう話にワクワクするものだ。「そういうこともあるかもな」とも思う。ノーベル賞受賞者ジョセフソンも、乱数発生器は量子トンネル効果を利用したもので、乱数発生器にこうした偏差がでるということは、人間の意識は量子と関係があるかも、などと言っている。それだけでなく、心の説明のために新しい物理学の構築さえ目指している。

疑似科学入門 (岩波新書) 池内 了

ところが本書の著者は、 超常現象を深く考察することもなく、非科学と決めつけている。現象に対して謙虚と言い難い。そもそも不思議なことに対する好奇心の欠落は、学者として致命的なのではないだろうか。

(まあ現状では、超常現象に真面目に取り組むとアホ扱いされる可能性が高いから、興味を持たないほうが物理学者としての保身に都合がいいのだろうけども。)

著者は疑似科学を批判しているつもりだが、その際に使う言葉が著者自身に跳ね返っているケースが多い。たとえば、「科学は時代とともに深化し、それまでの通説が覆ることを繰り返してきたのだ。ところが、それをなかなか受け入れられず、相も変わらず旧説に固執する人がいる。」(p.61) 「自分が安心できる思考法でつい安住してしまう」(p.45)などである。それは自分ではないのか、と。

こういうところを我慢すれば、人がなにかに騙されてしまうしくみなど参考になるところところもある。しかし叙述が退屈なのは残念。最初に「なぜ~なのか?」などといった問題設定をせずに、ただダラダラ書いているからである。