保守派の論客としてかつてマスコミを賑わせた西部邁が、18年1月、78歳で自裁した。その言論活動の原点となったのが、日米安保に反対する闘争「六〇年安保」だった。 自らと、共に戦った盟友達の内面の葛藤、焦燥感や虚無感と理想の相克を通じ、あの「空虚な祭典」とは何だったのかを問い直す。
「BOOK」データベースより
西部邁にとって、安保闘争の体験はもちろん重要だったが、後生大事にこだわり続けるものではなかった。ブントのやったことなど幼稚なものだったと思っている。
ところが、唐牛健太郎はそうでなかった。元全学連委員長という十字架を背負い、安保闘争の1960年以降も、そこに過度に固執しながら、日陰で生きざるを得なかった。
過去にやりのこしたことがあったり挫折を克服しないままに生きているとき、よく「忘れものをした」などというが、唐牛氏の人生は忘れものを探しながら終わってしまった。死ぬまで唐牛と交流があった著者が、彼を懐古して綴る文章には哀しみが溢れている(唐牛氏については、佐野 眞一氏の『唐牛伝 敗者の戦後漂流』に詳しい)。
著者自身の運動の経歴も語られていて興味深い。選挙結果を不正に操作して東大自治会委員長になったことなども明かしている。
本書で西部は、唐牛ほか、篠田邦雄、東原吉伸、島成郎、森田実、長崎浩を論じている(森田実とは最近までよくテレビで見かけた好々爺だ。1956年の砂川闘争で一種の英雄だったそうだ。学生運動が盛んだった時期を知らない世代としてはちょっと驚きだった)。