愛する人を所有するということ (青弓社ライブラリー) 浅見 克彦

愛する人を所有するということ (青弓社ライブラリー)

愛について深く思索した本。このテーマを緻密に考えてみたい人に寄与するところが大きい。文章から、著者の熱意がひしひしと伝わってくる。読み手としても気持ちが入った。出会ってよかったと思えた本。

愛する人を所有するということ (青弓社ライブラリー) 浅見 克彦

論旨は明快である。以下に一部内容を紹介してみる。

所有的な愛は避けられない

著者は愛する人を対象的に所有してしまう態度は不可避だという。

人は好みの性質をもった相手に惹かれるが、相手の性質によって愛するのは相手を尊重する愛とはいえず、相手を所有しようとする態度である。これは 「自分が追い求め、欲する幻影を相手に投影し、その幻影の性質をそなえているかぎりで相手を愛する態度」(p.116)。この場合、相手の存在の固有性を見ようとせず、自分の満足のため相手を利用しているだけであり、その実質は自己愛である。

「所有的な愛の構えは、自我が、その存立を賭けてその同一性と自存性を確保しようとすることに由来」(p.139)するものであり、「同一性と自存性を追求する理性的な自我であろうとするかぎり、他者に対する所有の構えを避けることはできない」(p.139) という。

それを避けようとするとどうなるか

他者との相互作用に身をゆだね、同一性と自存性を放棄するというのがひとつの回避案であるが、この案を採ることはできない。なぜなら、所有的な愛の前提である同一性を保った中でなければ愛の主体がなくなるため、愛の関係は意味をなさないからである。

所有と融合の間で

とすると、愛するものは所有的構え(自存性の追求)と相互的愛(自存性の放棄=相手との融合)との間で分裂している。そこに愛の不可能性や苦悩がある。しかしそれを自覚しつつ相手とともに生きるならばそこには倫理的な価値がある。


そもそも人を愛するとはどういうことだろうか?どうして愛は他者を所有しようとしてしまうのか?自我は所有の求めをどう実現しようとするのか?愛する者は自我と愛と所有のトライアングルのなかで、苦悩と哀しみを身にまとう―。愛をめぐる心の動きを桜井亜美や山田詠美などの小説やAYUの歌のなかに、あるいはR・バルト、J=P・サルトル、D・ヒュームなどの哲学思想のなかにさぐり、私たちの存在そのものの核心へと肉薄する。愛する者たちのありふれた感覚と思いによりそいながら紡ぐ、深い探求と刺激的な挑発に富んだ思索。

「BOOK」データベースより

(執筆時点で、アマゾンでは非常に高額になっているので、図書館こちらの電子書籍などの選択肢もあるかと思います)