いまある日本語は不完全であり、知をもうまく表現できる言語へと変わらなければならない。著者はこう言いたいようだ。
日本にはタテマエとホンネの使いわけがある。内向きで排他的な傾向がある。物事をあいまいにしてしまう傾向もある。暗黙の了解も多い。言葉を費やさずに済ます傾向もある。対外的に通用しない甘えた面がある。
これらには日本語の問題が横たわっている。日本語は二重構造(「漢字とかな」「詞と辞」など)の姿に分裂しており、物事をあいまいにごまかす隙や、暗黙の了解が多く言わずにすませる傾向、タテマエとホンネをわける隙も、こうした構造が根底にある。
欧米では抽象語は日常語の流れにあることが多い。たとえばドイツ語でnehmen(つかむ)とVernunfut(理性)はつながりがある。人々はあいまいさやタテマエなしに、同じ言語への信頼の上で議論できる。
日本語もまた、知的分別ができるような概念の言語へと進化しなければいけない、とする。
以上、趣旨はわかるが緻密ではなく、あまり説得されなかった (特に、日本の文化的な傾向と、日本語の二重性との相関の議論について)。日本語の構造が、日本人の性向を規定しているとでも言いたげな論述だが、少々手荒である。
それに、知的なことができる言語へと日本語は変わらなくてはならないと、著者は和辻哲郎にならって言うが、特に今ある日本語が、何かの目標に向かって変わるべきだとも思えなかった。というのは、すでにそうなってはいるのではと思うからだ。語学が苦手な益川敏英氏は、おそらく日本語だけで考えてノーベル物理学賞を受賞した。
いまある日本語は不完全であり、進化すべき余地がある言語であるという論点自体は新鮮であったが、議論に明晰さを欠き、残念ながら主張が伝え切れていないという印象だった。同様な内容を扱った同著者の『日本語は進化する』(NHKブックス)は格段に優れているので、どちらかというとこれをオススメする。