読者の世界 (1969年) (角川選書) 外山 滋比古

多くの人にとって、本は書くものではなく読むものである。なかには、読むことには生産性がないと感じ、できれば読むという行為にも生産的な意味を与えたい人もいるだろう。本書はそういう読み手にうってつけだ。

読者の世界 (1969年) (角川選書) 外山 滋比古

著者のエッセイ風の文章とは一味違った一面を、本書は見せてくれる。派手な思考のツールを使わずに、自分で柔軟に考えをすすめていく様子は、エッセイにおけるより一層、著者の聡明さを感じさせるものだ。

「読書女子」

とくに興味深かったのは、

  • 作品の作者だけでなく読者にも意義があるとする点
  • グーテンベルク以降、音読から黙読中心になった余波の考察

である。この二つにしぼり簡単に敷衍すると以下のとおり。

読者の意義

一般に読書においては、作者の意図をあるがままに理解できることが前提とされ、それがかなわないとき、読者は、自分がダメだからだと思ってしまうことがある。作品を書くことが高度な熟練であることもあいまって、作品や作家をいたずらに神秘化してしまいがちだ。

だが読む行為はたんなる受動ではない。読者側が能動的に、既存の知識と関連づけて再統合を行うことである。とすれば当然、作品は多義でありうるし、作者の意図をあるがままに理解しようとしなくてよい。

逆に読者が作品の性格を変えることさえある。読者による批評や研究で、作品の新しい意味が提示されれば、作品の見え方が変わり、それはいわば作品が生まれ変わることだからだ(1)著者はここで「過去作品が新しい作品の登場でみなおしを迫られる」といった趣旨のT.S.エリオットの議論を援用している。

黙読の影響

畏れられたり神聖視されたりする言葉がある。言葉が特定の対象と頻繁に結び付けられていると、それはなにか実質を有するものに感じられてくるためだ。

言葉の実質化に寄与していたのは音声であった。昔は読むといえば音読が中心だったので、言葉は、実質を有する感じを常に伴っていた。

「事実無根の悲痛な叫び」[モデル:Max_Ezaki]

しかし印刷術の登場は、音読で他の人に聞かせる必要を失わせ、印刷物を独りで黙読で読む層を発達させた。

黙読では音声をともなわないため、言葉が実質化しにくく(2)なお社会変動の大きさも言葉の実質化を阻んでいる。社会変動が大きいと、言葉が安定した意味=実質を持てなくなるためである。 、その意味は揺れ、共通理解が崩壊し、作品も誰もが理解できるものが好まれるようになる。

各章は独立して読めるので部分的にでも読んでみてもおもしろい本だ。


脚注

脚注
1 著者はここで「過去作品が新しい作品の登場でみなおしを迫られる」といった趣旨のT.S.エリオットの議論を援用している。
2 なお社会変動の大きさも言葉の実質化を阻んでいる。社会変動が大きいと、言葉が安定した意味=実質を持てなくなるためである。